新しい年、2022年が明けた。
七草に一年の無病息災を願う7日、日米の外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)がテレビ会議形式で開催され「共同発表」が発出された。
そこでは「自由で開かれたインド太平洋地域へのコミットメントを強く再確認し、また、地域の平和、安全及び繁栄の礎としての日米同盟の不可欠な役割を認識した」としたうえで「変化する安全保障上の課題に、パートナーと共に、国力のあらゆる手段、領域、あらゆる状況の事態を横断して、未だかつてなく統合された形で対応するため、戦略を完全に整合させ、共に目標を優先づけることによって、同盟を絶えず現代化し、共同の能力を強化する決意を表明した」と日米双方の「決意」を披歴した。そして「ルールに基づく秩序を損なう中国による現在進行中の取組は、地域及び世界に対する政治的、経済的、軍事的及び技術的な課題を提起するものであるとの懸念を表明した」と述べたうえで、南シナ海、東シナ海、尖閣諸島から新疆ウイグル自治区、香港、そして台湾海峡を挙げて、もっぱら中国を対象としていることを隠さなかった。
留意すべきは「日米は、今後作成されるそれぞれの安全保障戦略に関する主要な文書を通じて、同盟としてのビジョンや優先事項の整合性を確保することを決意した。日本は、戦略見直しのプロセスを通じて、ミサイルの脅威に対抗するための能力を含め、国家の防衛に必要なあらゆる選択肢を検討する決意を表明した。日米は、このプロセスを通じて緊密に連携する必要性を強調し、同盟の役割・任務・能力の進化及び緊急事態に関する共同計画作業についての確固とした進展を歓迎した」というくだりである。
日本の各メディアにおける認識には濃淡があり、この文脈における「含意」についての読み解きは決して十分とは言えない。
委員会後の会見で「日米同盟の今後の取組の方向性を示す野心的な共同発表を発出いたしました」と強調した林芳正外務大臣であったが、「緊急事態に関する共同計画作業」とは台湾有事を念頭においたものかという質問に対して「具体的な内容で、相手との関係もありますので、差し控えさせていただきたいと思います」と言及を避けた。
この文脈で思い起こすのは昨年末、12月23日に共同通信が伝えたスクープである。
「台湾有事、南西諸島を米軍拠点に」という見出しのこの記事は「複数の日本政府関係者」の証言をもとに「(台湾)有事の初動段階で、米海兵隊が鹿児島県から沖縄県の南西諸島に臨時の攻撃用軍事拠点を置くとしており、住民が戦闘に巻き込まれる可能性が高い」と伝えた。さらに「年明けの開催が見込まれる外務・防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス2)で正式な計画策定に向けた作業開始に合意する見通し」とした。まさにこの記事に符合する展開だと言える。
端的に言えば、台湾有事を想定した日米両軍による「戦争計画」というべきものである。事態はついにここまで来たかという感慨を抱かざるをえない。とともに、先の岸田首相の所信表明演説で語られた「国家安全保障戦略」「防衛計画の大綱」「中期防衛力整備計画」の3領域にわたって「おおむね一年をかけて策定」という流れと平仄を合わせたものであることが見えてくる。
ありていに言えば、日米同盟が「対中国軍事同盟」化を色濃くしながら一段と強化、加速するという、日本にとっての大きな歴史的「転換点」に差しかかっていることを知らされるのである。そして、なによりも、こうした事態に必ずしも敏感ではないわれわれでいいのだろうかという自問を深くするのである。
日中国交正常化50年の節目となる年明けであるが、ことほど左様に、それを寿ぐ空気もなければその歴史を振り返る「よすが」にも事欠く世情である。テレビ、新聞をはじめとするメディアは年初から中国の脅威、脅威で埋め尽くされていると言っても過言ではない。本来は日中国交正常化に至る先人たちの辛苦と努力、そしてそこで確認された原則について認識を深くする画期であるべきだが、残念ながら、その状況にはない。それどころか要諦を成す経緯と原則について「復習」を迫られる事態と言うべきである。
では、迫られる「復習」とは何か?!
目に余る言説の跋扈する台湾をめぐってのみに絞って記しておくことにする。これは昨年3月の当コラムでも触れたことである。
1972年9月29日北京において、訪中した田中角栄総理大臣と大平正芳外務大臣、中国の周恩来国務院総理、姫鵬飛外交部長との間で署名された「共同声明」の第2項で「日本国政府は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する」とし、続く第3項で「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」とした。
「ポツダム宣言」の第八項 においては「カイロ宣言ノ条項ハ履行セラルべク」と規定していて、その「カイロ宣言」では、台湾、膨湖諸島は「中華民国」(当時)に返還することが記されている。中華人民共和国政府が中国を代表する唯一の合法政府と承認するのであれば、カイロ宣言にいう「中華民国」とは、中華人民共和国が継承したことになるので、カイロ宣言の履行を謳っているポツダム宣言第八項に基づく立場とは、中華人民共和国への台湾の返還を認める立場を意味するという論理になる。重要なことは、台湾が中国唯一の合法政府中華人民共和国政府に返還されるのを日本が認めるということは「二つの中国」あるいは「一つの中国、一つの台湾」は認めない、すなわち、日本が台湾に介入することがあってはならない、という認識を日中で共有したことにある。これはいかなることがあっても忘れてはならない原則であることを肝に銘じなければならない。
さしあたりここで必要な「復習」は以上である。
年初から、こうして考え、考え、復習しなければならないとは、なんと難儀なことか。今稿の掲題は一見「おちゃらけ」に響くかもしれない。がしかし、この時世だからこそ「戦争」についてではなく、どうすれば東アジアに平和をもたらすことができるのか、まさしく平和への構想と努力について語り合う時世に変えていくことこそが求められているのではないか。中国の脅威しか語れないわれわれでは「疲れてしまいませんか?」という問いかけなのである。
時代とともに人も変われば、考えも変わる。それは理解しよう。しかし変わってはならないことがあるのだ、ということを今こそ思い起こさなければなるまい。自戒であるとともに声を大にして今の時世に言わなければと思うことである。
日中国交正常化50年を迎えるにあたってのささやかな叫びである。(木村 知義)
【筆者】木村 知義(きむら ともよし)、1948年生。1970年NHK入社。アナウンサーとして主に報道、情報番組を担当。1999年から2008年3月まで「ラジオあさいちばん」(ラジオ第一放送)のアンカーを務める。同時にアジアをテーマにした特集番組の企画、制作に取り組む。退社後は個人研究所「21世紀社会動態研究所」で「北東アジア動態研究会」を主宰。